白人は優秀だと語る前に考えるべきこと

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白人は優秀なのかー

おそらく誰の脳裏にもよぎったことのある問いかけにも関わらず、この手の話題は過熱しやすい。白人、特に欧米諸国への憧れを躊躇なく話す人がいる一方、植民地主義の歴史や文化の違いを持ち出して感情的に強い拒否感を示す人もいる。そこに話し手のプライドとコンプレックスが相まって、時には人種差別まがりの罵詈雑言が飛び交う危うい事態になる。

「私は人種差別主義者ではない。しかしテレビやインターネット、電話だって白人が発明したものだ。事実、経済的に成功している国々のほとんどが欧米諸国ではないか」

そう考えて、白人は優秀だという結論に飛びつく前に、立ち止まって考えてみる質問が幾つかある。これから挙げる質問を自問自答することで、潜在意識的に持っている自分の差別意識や固定観念に気づかされるかもしれない。

優秀さとは何なのか

まず、優秀さとは何かを考えたい。知能指数、経済的成功、身体能力、芸術的センス、外交能力、あるいは何かほかの要素だろうか。考えてみると、人々が度々口にする「優秀さ」の定義は実に曖昧であることに気づく。

知能指数いわゆるIQの平均値だけを考えれば、平均値が最も高い国は日本で、その後に台湾やシンガポール、香港、韓国と東アジア諸国が続く。年によって順位やIQ平均値には若干の変動があるが、東アジアが上位を占める傾向はあまり変わらない。

出典:Countries by IQ – Average IQ by Country 2024

個々の知能指数に関しては遺伝による影響が一番大きいとする研究結果もあるが、肌の色との相関性を証明するものは乏しく、「フリン効果」のように遺伝だけでは説明できない現象も報告されている。

しかし、おそらく多くの人が「白人は優秀」と考える背景には彼らの経済的な成功があるだろう。フォーブス誌は毎年世界のビリオネアランキングを紹介しているが、そこにはお馴染みのイーロン・マスク、ジェフ・ベゾス、ラリー・エリソン、ウォーレン・バフェット等が名を連ねる。一見、日本人からすれば白人と言える人々ばかりの気もするが、イーロン・マスクは南アフリカ出身でアメリカ移住後にその才能を開花させたことで知られる。またオラクルの創業者ラリー・エリソン、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Googleのラリー・ペイジなどは、人種差別主義者からすれば「白人」とはみなされないユダヤ系だ。


出典:Forbes Real Time Billionaires List – The World’s Richest People

また英国では「アジア系やカリブ海系などの移民の子どもたちは同じ高学歴でも、白人の子どもと比べて雇用される可能性が低い」という調査結果もある。これは英国にだけに限らず、様々な国で似たような現象が起きている可能性は高い。

出典:高学歴の黒人・アジア系英国人、仕事では不利な立場に – CNN.co.jp

さらに言語の問題もある。英語がグローバル言語となった現代社会では、へき地に生まれ育った原住民族より、英語話者のほうが様々なリソースを手に入れやすく、経済的成功を収めるのに圧倒的に有利だという点も覚えておくべきだろう。では、どうして英語がグローバル言語になり得たかという疑問も上がるが、話がややこしくなるのでこの点についてはまた別の機会に話したい。

様々な研究結果をあげればきりがないが、要は経済的成功には教育、家庭環境、医療、言語など様々な社会的要因が複雑に関係しているのだ。

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白人とは誰なのか

次に考えたいのは、いったい「白人」とは誰を指すのか、という質問だ。真っ先に連想するのは金髪で青い目をしたヨーロッパ人だが、当然ながらすべてのヨーロッパ人がこうした容姿を持っているわけではない。ヨーロッパ人の中でも肌の色にはグラデーションがあるし、ロシア人、トルコ人、ユダヤ人を白人と呼ぶべきかも人によって意見は異なる。

そもそも近年の研究では「人種」という概念そのものが、植民地主義や奴隷制などの歴史的な過程の中で創作された社会的カテゴリーに過ぎず、生物学的・遺伝学的には意味をなさないという意見が一般的だ。

「白人」「黒人」「黄色人種」そんな表現を使う前に、その言葉の背景まで一度考えてみたい。

誰が美の基準を決めるのか

背が高く、鼻筋が通っていて、肌が白い人を美しいと感じるなら、それはその人の勝手だが、世界共通の美の基準というのがあるのかと聞かれれば、それは疑問だ。科学的にも人間の脳が何をどうして美しいと感じるかは不明な点が多い。さらに、そうした「白人らしさ」を美の基準としたがる傾向は容易に人種差別と結びつく危険な考え方だということも覚えておいたほうがいい。

体格、肌の色、目の大きさや色の違いは人類の多様性の表れだが、そこで美の基準まで作り上げようとするのは、善悪の基準を自分たちで決めようとする人間の高慢さの表れでもある。

さらに人は見慣れた物に安心感を抱く傾向もある。例えば、学生の時、他校の学生の顔がやけに不細工に見えたことはないだろうか。見慣れた姿顔立ちには安心感を持てるが、そうでないものには異物感を感じる。これは肌の色や体格の大きく異なる外国人を見た時の印象や態度に表れるかもしれない。

ステレオタイプの影響を受けていないか

軍事力を用いて他国に圧力を加える「ハードパワー」に対し、文化や教育、エンターテイメントを駆使して他国に影響を及ぼすことを「ソフトパワー」という。例をあげると、アメリカは音楽や映画産業を通じて、自国の文化をより魅力あるものとして宣伝してきた。

簡単に言うと、アメリカ発のロックやポップミュージック、ハリウッド映画を見るうちに、外国人でもアメリカってなんだかカッコいい!という気持ちになり、英語を勉強したくなると、つまりそういうことだ。

しかし、ディズニーアニメやハリウッド映画で、長年「白人」ばかりが主人公として活躍し、非白人は脇役に置かれていることは度々批判されている。「白人が世界を救う」アニメや映画を長年見続けるうちに、気づかないうちに白人と「成功」を結びつけるステレオタイプな影響にさらされているかもしれない。

まとめ

他の国の文化や外国人に敬意をもって接するのは大切なことだ。しかし、一つの国・文化への過度の羨望の眼差しは、一つ間違えれば、他国への差別意識や偏見にもつながりやすい。自分はなぜそう感じるのか、何の影響を受けているのか自問自答するなら、自分の中にある劣等感や潜在的な差別意識をもっていることに気づくかもしれない。

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