貧困の行く末
貧困について考える時、僕はある靴みがきのことを思い出す。 パラグアイ南部の国境の町エンカルナシオンのバスターミナルにいた時のことだ。僕はその時、今では思い出せない何かの理由でこぎれいなスーツを着ていて、革靴をカツカツ鳴らしながらターミナルを闊歩していた。 パラグアイの夏は湿気がひどい。屋外に出るたびに不快な汗が額から吹き出し、背中に湿ったシャツが張り付くような感覚が残る。さらに道路はしっかり舗装されていないところも多く、赤土がむき出しになっており、少し歩くだけで埃まみれになる。 「靴を磨きましょうか」 暗い目をした酷く瘦せた男が、僕の前に立っていた。男が指さす自分の靴を見て、革靴が随分埃まみれになっていることに気づく。 「そうだね。よろしく頼むよ」 そう言うと、男は腰を下ろし、木箱からブラシと使い古したぼろ切れを取り出し、丁寧に僕の靴を磨き始めた。 「いくらだい?」そう尋ねると、男は言った。 「あなた次第ですよ」 何も言わずにいると、彼はくぼんだ暗い目を私の方に向けて話を続けた。 「肺が悪いです。病院に行かなきゃいけない。だからこうやって…お金を貯めてるんです」 僕は何も言わなかった。しばらく居心地の悪い沈黙が続く間、男は右足の靴磨きを終え、左足に移った。 「大変だね。よくなるといいね。」 最後にそう言って僕は5000グアラニー(約90円)を手渡しながら、僕は彼が嘘ついていればいいと思った。僕の服を見て金持ちと思ったのかもしれない。同情を誘って、お金をもらえることを期待したのだ、と。 僕は一度だけ、パラグアイの公立病院に行ったことがある。川遊びをしていた時に転んで、腕を切って、縫合が必要だったのだ。公立病院は治療費が原則無料だが、設備や環境は私立の病院よりずっと劣る。緊急室の廊下で診察を待つ間、僕の目の前では野犬に腕を半分引きちぎられた子どもが泣き叫んでおり、廊下の反対側では車いすの女性が嘔吐しているのに看護士も誰も知ったことではないという様子で、まるで野戦病院のような有様だった。保険を持たない人々は、何かあればここで治療を受けるしかない。 靴磨きの男は、黙ってお金を受け取り立ち去っていった。僕は彼の後姿を見ながら、たとえ彼が言ったことが本当だとしても何をしてやれるだろう、と考える。たとえ僕が期待通りのお金持ちであったとしても、僕には世界を救う力などないのだ。君は、これからも一生懸命靴を磨き続けるんだろう。でも靴磨きでは期待したようにお金が貯まることなどあるまい。だから、君はろくな治療も受けられないままこれからも衰弱していくだろう。でもそれは僕の責任ではないのだ。 暑さに眩暈を感じながら、僕はその場を後にした。