トラベル

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差別するということ、されるということ

5年ぶりの南アフリカ。妻の妹の長男、つまり私にとって甥っ子にあたる子と初めて対面した時だった。「おじさん」として紹介された私の顔を怪訝そうに見つめて、甥っ子は一言。 「おじさんなら、どうしてそんなに顔が白いんだ」 それを聞いた皆がどっと笑う。 「それはね、日本人だからよ」 お母さんが4歳になる長男に説明するのを横で聞きながら、私は一人考え込んでいた。 そうか、たった4歳でも肌の色の違いを意識するようになるものなのか、と。 悪意のない偏見 もちろん、人種の違いを意識するということと、差別意識を持つようになることは全く別の話だ。幼い子供はたいてい人種間の相違を理解しても差別的な行動は取ることはない。ところが年を重ねるごとに、人は差別的な態度を徐々に身に付けていく。不思議なことに、旅を重ね、様々な人々と出会う中で、逆に人種差別的な考え方が強まる人すらいる。つまり、差別とは学習するものなのだ。 私はこれまでの人生の半分以上を日本以外の国で過ごしたが、日本人だという理由であからさまな差別や敵対行為を受けたことはあまりない。どちらかというと、無意識の差別や偏見がほとんどだった。いわゆるマイクロアグレッションというやつだ。 例えば、住む場所を探している場合、人種背景をもとに不動産会社から紹介される場所が無意識に選別される場合がある。他にも、黒人だからという理由で「バスケが得意のはずだ」と思い込んだり、アジア人系アメリカ人に対して「英語が上手ですね」と言うことがこれに含まれる。 こうした発言は相手に悪意が全くない分、やっかいな問題だ。法に訴えるような問題ではないが、「それは偏見だ」と声をあげても繊細過ぎるとか、被害妄想扱いさえされるかもしれない。しかし、こうした無意識の差別は、会話の後に不愉快な後味を残すものだ。いくら笑顔で暖かい対応をしていたとしても、心の中では「よそ者」扱いをしているのだと。 日本人が直面する差別 日本人を含むアジア人が直面する差別行為のひとつに「目を吊り上げる」しぐさがある。これもおそらくマイクロアグレッションのひとつだ。パラグアイでも頻繁に起こるが、話す相手は傷つける意図はまるでなく、しかも会話の中で自然と出てくるので、聞いているこっちも訂正する暇がない。なんとなく不快な印象を残したまま、時間だけが過ぎてゆく。 では、どうするか。 個人的にはマイクロアグレッションと感じたら、丁寧に説明するようにしている。いつでも相手の言動を訂正できるわけではないが、言われなければ相手も気づかない。たいてい相手は全く悪意なく、無知ゆえに行動しているだけなのだ。「目を吊り上げる」しぐさが侮辱的だと親切に説明すると、たいてい「それは知らなかった」と驚かれる。常識的に考えれば、相手の体型や身体的特徴を誇張して表現して良いわけがないのだが。 私が持つ無意識の偏見 とはいえ、多くの人にとって差別された体験を語ることより、差別した体験を語るほうが難しいことかもしれない。誰も自分が人種差別主義者だとは考えたくもないし、無意識の偏見はしている本人も気が付かないものだ。「あなたは人種差別をしますか」と聞かれれば、たいていの人が「いいえ」と答えるだろう。 それでもはっきり言えるのは、潜在意識レベルでの差別意識は誰もが持っているということだ。 私がまだ小さい時、アメリカへの一種の憧れのような感覚を常に持っていたが、当時私が思い描いたアメリカは、ニューヨークの摩天楼や広大なプレーリー地帯の豪邸に住む白人家庭であって、ヒスパニックやインド系ではなかった。将来はおそらく外国人と結婚することになるだろうと思ったが、その時思い浮かべたのも「白人」であって他の有色人種ではなかったので、おそらく自分の中にも「黒よりも白を好意的に見る」傾向があったのだろう。 アメリカに移住したあと、そういった憧れの気持ちは影を潜め、代わりに酷い劣等感と対峙しなければならなくなった。特につらく感じたのはあからさまな差別というより相手からの「冷ややかな冷笑」だ。自分の体格や身長、英語の訛り。マッチョの国・アメリカではこの全てが不利に働く。何を言っても相手にされない感覚は決して心地よいものではない。しかし、何よりも問題だったのは、自分で自分に自信が持てなかったことだ。鏡に映った自分の姿を見ても、そこには「頭髪の薄くなった暗い目をした痩せたアジア人」以外の何も見えなかったのだ。 自分の辿ってきた道を考えてみると、やはり私も偏見に取りつかれていたのだと気づく。そして十数年たった今も、無意識の偏見が自分自身を苦しめているようだ。そして甥っ子の顔を見て、また考える。奇妙な優越感や劣等感を育てることなく、偏見を克服することは可能だろうか、と。

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旅の始まり

僕が初めて旅に出たのは、まだ17の時だ。 恐る恐るネットで航空券を購入し、ひとり飛行機に乗り込み香港へと向かった。 香港は、幼少期に過ごした思い出の場所でもある。 電飾に囲まれた香港の混沌とした街並み、怒号のように飛び交う広東語、そして美しい夜景を眺め、ひとりで世界を飛び回る愉悦を覚えたのはこの時だ。帰国後すぐにいろいろな旅行ガイドブックを読みあさって次の「旅先」を選び始めた。 今思えば、幼い子供が裏庭を探索するような愛らしい冒険心だったが、それが僕の小さな旅のはじまりだった。 その後21歳でアメリカへ移住し、29歳で南米パラグアイの永住権を取得、32歳の時に南アフリカの女性と結婚することになる。 アジア、北米、南米、中東、アフリカの15ヵ国以上を放浪し、4つの大陸に居を構えた。 そうするうちに世の中の不可思議がほんの少し理解できるようになったと思うこともあれば、いまだに「さて、どうしたことか」と首をひねることもある。世界は広くて深い。そこに散らばる80億人の歴史はもっと深い。 30代も後半に差し掛かり、以前のような冒険心や好奇心は影を潜めてしまった。旅なんかもううんざりだと思うこともある。そんな僕が、若い世代に何か言ってあげることがあるとすれば何だろう。 「失敗したっていいさ。やりたいことを恐れずにトライしてみるといいよ」 こんなアドバイスはちょっとありきたりだろうか。

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