アパルトヘイト後の南アフリカ
二つの意見の間で世間の評価が揺れ動いている時、物事を冷静に判断するのは簡単なことではない。アパルトヘイト(人種隔離政策)後の南アフリカの話だ。 南アフリカでアパルトヘイトが終結して30年。かつてはアパルトヘイトを終結に導いた闘士たちの党として圧倒的人気を誇ったANC(アフリカ民族会議)の評判も今は地に落ち、今年5月に開催された総選挙では1994年以来初めて議会の過半数を失った。慢性的な電力不足、高い失業率、通貨ランドの下落、埋まらない格差。国民の不満の理由を挙げればきりがない。 個人的には南アフリカほど美しく魅力的な国はあまりないと思うが、都市部にもかかわらず、毎日のように突然水や電気が止まるような状況では不満が高まるのも不思議なことではない。しかもたいてい1時間や2時間の停電では済まない。それで多少お金に余裕のある人はたいていソーラーパネルを屋根に付ける。計画停電で数時間停電しても、何とか普通の生活を送れるようにするためだ。 「マンデラは悪い人ではなかったと思うわ」 60過ぎのアフリカーンスの白人女性はそう語る。 「でもアパルトヘイトが終わって、公共のサービスが悪化したのは確かね。英語もろくに話せない人たちが管理しているからよ。」 「マンデラは悪い人ではなかった」という言葉が、実に奇妙に脳内をこだました。アフリカ黒人にとっての「英雄」が、別の人種グループにとっては単なる「悪い人ではない」という評価になるのか、と。 現在の南アフリカの状況に関して言うと概して批判的なものが多い。直接的にせよ、間接的にせよ、彼女のようにアパルトヘイト後に「公共のサービスが悪化した」と不満を口にする白人に多く出会ってきた。 「この国にはもう希望がないって、よく夫が言っていたわ。だから一緒にイギリスへ行こうって。でも、そうなる前に亡くなちゃったけどね」 南アフリカ生まれのイギリス人の夫を最近亡くしたある日本人女性は、少し寂しそうにそう語った。希望が見いだせないと感じて、アパルトヘイト終結後、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスなどに移住した南アフリカ白人の数は100万人に上ると言われる。 治安の悪化、経済の停滞、政治の腐敗。この全てが南アフリカ白人に言わせてみれば「アフリカ人の統治能力の欠如」を証明するものであり、「アパルトヘイト時代のほうがよかった」という結論に結びつく。ただそれは、白人が土地と経済を独占し、アパルトヘイトによって言葉も教育の機会をも奪われたと考えるアフリカ黒人に言わせれば、アパルトヘイト中に覆い隠されていた問題が表面化しただけに過ぎない。アパルトヘイト時代に白人たちが優雅な生活を送っている間も、やはりアフリカ黒人は苦しんできたのだと。 「白人たちが来る前は、俺たちはうまくやっていたんだ。」 酒を飲んだ勢いもあってか、私の義理の弟は早口にまくし立ててきた。 「日本にも伝統というものがあるだろう?アフリカにもアフリカの伝統的なやり方があるんだ。だからアフリカ人はアフリカ人の伝統に戻らなきゃいけない」 彼は、経済的解放の闘士(EFF)を支持しているらしい。度々白人への過激な敵意を露わにし、問題にされることもある政党だ。多くの南アフリカ黒人は、今の南アフリカの状況に失望と怒りを感じると同時に、白人が力を握っていたアパルトヘイト時代へ逆戻りすることを恐れて、第3の選択肢を模索しているように見える。 今の南アフリカに不満を感じるのは白人や黒人だけではない。 「アパルトヘイト時代には白人にはなれず、アパルトヘイトが終わってもアフリカ人とはみなされない。”Not white enough, Not black enough”さ。」 インド系南アフリカ人の友人はそう語る。経済的に比較的成功している人が多いとされるインド系南アフリカ人の間にも、複雑な心境が見え隠れする。 では、アパルトヘイト時代のほうがよかったのか。いや、アパルトヘイトは倫理的に間違っていた。しかしアパルトヘイト撤廃後も問題がなくなるどころか、かえって複雑化した。この南アフリカの近代史は「白人」や「黒人」だけでなく、単に「人間の統治能力の限界」を証明するものにすぎないように思う。