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フィリピン・マニラに2か月滞在してみて思ったこと

10代でひとり旅を始めたばかりの頃、気になってはいたものの、結局行くことができなかった国が一つある。それがフィリピン。 なにせ、当時のイメージが悪かった。売春やら偽装結婚やら誘拐やら薬物やら。日本から近く、興味はあったものの、ネガティブなニュースばかり見聞きしていたせいで、なんとなく「危険な国」というイメージが先行し、避けてしまっていた。 とはいえ、実はフィリピンとは幼少期から妙なつながりがある。私の世話をしてくれたベビーシッターはフィリピン人だったし、アメリカ移住後にお世話になった盲目の友人もフィリピン人。そして私の親友もフィリピン人と結婚した。 そんなわけで、一度行ってみたいとはずっと思っていたものの、結局ずいぶん長い間、訪れる機会がなかった。パラグアイに移住してからは、南米からアジアまでの距離と旅費も大きなハードルになった。 それが今回、退職後にフィリピンへ移住した両親を訪ねるため、妻と一緒に2か月ほどマニラに滞在することができた。マニラの定番観光地に関しては、たびこふれの記事でも紹介しているので、是非参照されたい。 フィリピン・マニラの治安とおすすめ観光スポット 5選 売春や特殊詐欺、日本人を狙った強盗事件など、なにかとネガティブなニュースが絶えないフィリピンの首都マニラ。 東京から飛行機で4時間程度の距離で、身近な国ではあるものの、観光では治安に不安に感じる旅行者も多いようだ。そんなマニラ在住の家族に会うため、筆者はマニラに2か月ほど滞在してみた。 この記事では、たびこふれでは書ききれなかった、実際にマニラで生活してみて感じた率直な感想をいくつか取り上げてみよう。 1.   貧富の差はあるけど、意外と治安は悪くなさそう 心理学用語に「利用可能性ヒューリスティック」という言葉がある。 最近見聞きした出来事や、強く印象に残った事例ほど頭に浮かびやすいため、それを「実際にも頻繁に起きている」「世の中全体がそうだ」と判断してしまいやすい心理傾向のことだ。 そんなわけで、統計から見える現実と、自分自身の体感との間には、若干のズレが生じることもある。 例えばパラグアイは、南米の中では比較的治安がいいと言われることが多い。それでも8年も住んでいると、ひったくりやら空き巣やら交通事故やら様々なことを見聞きしてきた。日中堂々と空き巣に入って電化製品を運び出している人を実際に目撃した時には、「パラグアイって、実は相当治安が悪いんじゃないか」と感じたものだ。 それとは対照的に、私が同じく8年ほど暮らしたシカゴでは、2024年だけでも580件の殺人が記録されている。単純計算すれば、毎日のようにシカゴ市内のどこかで誰かが撃ち殺されていることになる。それだけ聞けば、とてつもなく治安が悪いように感じるが、8年暮らしてみて殺人どころか犯罪現場そのものを直接目撃したことは一度もなかった。 ではマニラはどうだったか。 当然、2か月しか滞在していないので断定はできない。それでも率直な感想としては、思っていたよりずっと普通に生活できる街だった。 マニラ首都圏の人口は約1400万人とパラグアイ・アスンシオンの首都の5倍以上。人口が多い分、目につく問題も増える。高級コンドミニアムや巨大ショッピングモールのすぐ隣に、物乞いやストリートチルドレンを見かけることもあり、経済格差はパラグアイ以上に目につきやすかった。 ただし、常に緊張感を強いられるような治安の悪さはほとんど感じないし、夜になったら出歩けないというほどでもない。もちろん、泥酔して深夜に一人で歩かない、興味半分で風俗街を歩かない、スマートフォンや財布を無防備に見せびらかさない―そうした海外旅行の基本的な注意は必要だ。 それでも「フィリピン=とにかく危険」という昔からのイメージは、かなり修正することになった。 2.   意外と英語が通じない 日本では短期のフィリピン英語留学が人気だし、私自身、これまで知り合ったフィリピン人が皆比較的英語に堪能だったこともあり、フィリピン人と言えば、英語が得意というイメージがあった。実際、英語はフィリピンの公用語の一つでもある。 ところがマニラで生活してみると、想像していたほど誰とでも英語でスムーズに会話できるわけではないことに気づいた。 ただ、英語がさほど得意でなくても、一生懸命こちらの話を理解しようとしてくれる人が多い。また、こちらの英語が完璧でなくても、それを理由に不機嫌になったり、アメリカのようにそれが理由で邪険に扱われることはない。 そういうところに、フィリピン人のやさしさを感じることは多かった。 私たちはタガログ語をほとんど話せないが、それでも2か月間、言葉の問題で本当に困ったことはほぼなかった。 3.   意外と物価が高い。 これは完璧に私自身の偏見だったのだが、東南アジアといえば、日本に比べ物価が安く、何でもかんでも安く済むイメージがあった。確かに、ジープニーやトライシクルなど、地元の人が使う交通手段は驚くほど安い。近距離なら100円前後でもかなり移動できる。 ただし、外国人が日本と同じような快適さを求め始めると、話はかなり変わってくる。 ただ、ガソリン価格の上昇などから、近年フィリピンの物価は急騰しているうえに、近年の急激な円安の影響で、日本人にとってはさらに割高な都市になりつつある。 例えば、パラグアイでは1週間の食費がふたりで100ドルを超えることはほとんどないが、マニラ滞在中は、その1.5倍ほど使ってしまう週もあった。 家賃も同じだ。マニラでも、日本円換算で3万円程度で借りられる物件も確かに存在する。しかし、日本人や外国人が多く暮らすマカティなどで、立地、清潔さ、セキュリティ、家具、広さなどにこだわり始めると、家賃は簡単に跳ね上がる。条件によっては日本円で10万円を超え、15万~20万円クラスになる物件も珍しくない。 4.   意外とカードが使えない。 パラグアイではカード決済がかなり浸透していて、露店などを除けば、通常どのレストランやカフェに行ってもカード支払いが可能だ。 ところがフィリピンは、予想以上の現金社会。ジープニーなどのローカル交通機関はもちろん、レストランやカフェ、長距離バスやフェリーのチケットなどでも、「カードは使えません」と言われる場面に何度も遭遇した。 常に現金を準備しておかなければいけないのは、地味なストレスになる。 現地ではGCashというフィリピン版送金アプリが広く使われており、「カードは使えないけどGCashはOK」と言われることもある。利用条件が限られており、短期滞在者には現実的な利用方法ではない。 5.   断水多すぎ ホテルに滞在するだけの旅行者は心配する必要はないかもしれないが、生活するうえで一番不便だと感じたのが「断水」。それも1時間や2時間だけではない。私がマニラに滞在した際は、半日断水など日常茶飯事で、問題なく水が出て一日過ごせれば「お、今日は運がいい」くらいだった。 では水なしでどうするのかというと、出るときに大きなバケツに水を貯めておき、食器を洗ったり、手を洗う時にはその水を使う。ただシャワーを浴びたり、洗濯したりはできないので、水が出るまで待つ。逆に言うと水ができるときに、さっさとシャワーと洗濯を済ませておく感じだった。 なぜこんなに断水が多いのかといえば、乾季によるダムの水位の低下とか水道管のメンテナンスだとかいろいろ原因はあるようなのだが、そんな生活が毎日のように続くので、正直南アフリカの計画停電よりもたちが悪いと感じる。南アフリカの計画停電も頻繁に起こるが、通常2~3時間で復旧するからだ。 電気がないのも困るが、水がない生活は想像以上に何もできない。 6.   フィリピン人女性を連れた怪しげな日本人おじさん多すぎ 「フィリピンは本当に男泣かせな国なんですよ。フィリピンで彼女を作って、大金はたいて家まで建てて一緒に住み始めたと思ったら、その後、裏切られて、泣いて日本に帰った男なんて100人や200人じゃすまないんです」 フィリピンで出会ったとある男性は私にそう言った。 どこまで本当か知らないが、マニラを歩いていると、確かに日本人男性と若いフィリピン人女性のカップルをよく目にする。もちろん今の時代、国際結婚自体はまったく珍しいことではないのだが、中にはかなりの年齢差がありそうなカップルもいて、どこか違和感を覚えた。 私の知り合いの米国在住のフィリピン人の友人は、実際に「両親から将来はアメリカ人と結婚するように勧められていた」と話しており、子どもには先進国の人と結婚していい暮らしをしてほしいと感じている両親も多いようで、そういった文化がフィリピンには確かに存在するのだろう。 フィリピンでは、外国人個人は原則として土地を所有することができない。フィリピン人のパートナーや配偶者名義で土地を購入し、後になって関係が破綻したあと裁判沙汰になるケースもあるのだという。そういった理由から、前述した男性の話も全くのでたらめというわけではなさそうだ。 […]

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差別するということ、されるということ

5年ぶりの南アフリカ。妻の妹の長男、つまり私にとって甥っ子にあたる子と初めて対面した時だった。「おじさん」として紹介された私の顔を怪訝そうに見つめて、甥っ子は一言。 「おじさんなら、どうしてそんなに顔が白いんだ」 それを聞いた皆がどっと笑う。 「それはね、日本人だからよ」 お母さんが4歳になる長男に説明するのを横で聞きながら、私は一人考え込んでいた。 そうか、たった4歳でも肌の色の違いを意識するようになるものなのか、と。 悪意のない偏見 もちろん、人種の違いを意識するということと、差別意識を持つようになることは全く別の話だ。幼い子供はたいてい人種間の相違を理解しても差別的な行動は取ることはない。ところが年を重ねるごとに、人は差別的な態度を徐々に身に付けていく。不思議なことに、旅を重ね、様々な人々と出会う中で、逆に人種差別的な考え方が強まる人すらいる。つまり、差別とは学習するものなのだ。 私はこれまでの人生の半分以上を日本以外の国で過ごしたが、日本人だという理由であからさまな差別や敵対行為を受けたことはあまりない。どちらかというと、無意識の差別や偏見がほとんどだった。いわゆるマイクロアグレッションというやつだ。 例えば、住む場所を探している場合、人種背景をもとに不動産会社から紹介される場所が無意識に選別される場合がある。他にも、黒人だからという理由で「バスケが得意のはずだ」と思い込んだり、アジア人系アメリカ人に対して「英語が上手ですね」と言うことがこれに含まれる。 こうした発言は相手に悪意が全くない分、やっかいな問題だ。法に訴えるような問題ではないが、「それは偏見だ」と声をあげても繊細過ぎるとか、被害妄想扱いさえされるかもしれない。しかし、こうした無意識の差別は、会話の後に不愉快な後味を残すものだ。いくら笑顔で暖かい対応をしていたとしても、心の中では「よそ者」扱いをしているのだと。 日本人が直面する差別 日本人を含むアジア人が直面する差別行為のひとつに「目を吊り上げる」しぐさがある。これもおそらくマイクロアグレッションのひとつだ。パラグアイでも頻繁に起こるが、話す相手は傷つける意図はまるでなく、しかも会話の中で自然と出てくるので、聞いているこっちも訂正する暇がない。なんとなく不快な印象を残したまま、時間だけが過ぎてゆく。 では、どうするか。 個人的にはマイクロアグレッションと感じたら、丁寧に説明するようにしている。いつでも相手の言動を訂正できるわけではないが、言われなければ相手も気づかない。たいてい相手は全く悪意なく、無知ゆえに行動しているだけなのだ。「目を吊り上げる」しぐさが侮辱的だと親切に説明すると、たいてい「それは知らなかった」と驚かれる。常識的に考えれば、相手の体型や身体的特徴を誇張して表現して良いわけがないのだが。 私が持つ無意識の偏見 とはいえ、多くの人にとって差別された体験を語ることより、差別した体験を語るほうが難しいことかもしれない。誰も自分が人種差別主義者だとは考えたくもないし、無意識の偏見はしている本人も気が付かないものだ。「あなたは人種差別をしますか」と聞かれれば、たいていの人が「いいえ」と答えるだろう。 それでもはっきり言えるのは、潜在意識レベルでの差別意識は誰もが持っているということだ。 私がまだ小さい時、アメリカへの一種の憧れのような感覚を常に持っていたが、当時私が思い描いたアメリカは、ニューヨークの摩天楼や広大なプレーリー地帯の豪邸に住む白人家庭であって、ヒスパニックやインド系ではなかった。将来はおそらく外国人と結婚することになるだろうと思ったが、その時思い浮かべたのも「白人」であって他の有色人種ではなかったので、おそらく自分の中にも「黒よりも白を好意的に見る」傾向があったのだろう。 アメリカに移住したあと、そういった憧れの気持ちは影を潜め、代わりに酷い劣等感と対峙しなければならなくなった。特につらく感じたのはあからさまな差別というより相手からの「冷ややかな冷笑」だ。自分の体格や身長、英語の訛り。マッチョの国・アメリカではこの全てが不利に働く。何を言っても相手にされない感覚は決して心地よいものではない。しかし、何よりも問題だったのは、自分で自分に自信が持てなかったことだ。鏡に映った自分の姿を見ても、そこには「頭髪の薄くなった暗い目をした痩せたアジア人」以外の何も見えなかったのだ。 自分の辿ってきた道を考えてみると、やはり私も偏見に取りつかれていたのだと気づく。そして十数年たった今も、無意識の偏見が自分自身を苦しめているようだ。そして甥っ子の顔を見て、また考える。奇妙な優越感や劣等感を育てることなく、偏見を克服することは可能だろうか、と。

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旅の始まり

僕が初めて旅に出たのは、まだ17の時だ。 恐る恐るネットで航空券を購入し、ひとり飛行機に乗り込み香港へと向かった。 香港は、幼少期に過ごした思い出の場所でもある。 電飾に囲まれた香港の混沌とした街並み、怒号のように飛び交う広東語、そして美しい夜景を眺め、ひとりで世界を飛び回る愉悦を覚えたのはこの時だ。帰国後すぐにいろいろな旅行ガイドブックを読みあさって次の「旅先」を選び始めた。 今思えば、幼い子供が裏庭を探索するような愛らしい冒険心だったが、それが僕の小さな旅のはじまりだった。 その後21歳でアメリカへ移住し、29歳で南米パラグアイの永住権を取得、32歳の時に南アフリカの女性と結婚することになる。 アジア、北米、南米、中東、アフリカの15ヵ国以上を放浪し、4つの大陸に居を構えた。 そうするうちに世の中の不可思議がほんの少し理解できるようになったと思うこともあれば、いまだに「さて、どうしたことか」と首をひねることもある。世界は広くて深い。そこに散らばる80億人の歴史はもっと深い。 30代も後半に差し掛かり、以前のような冒険心や好奇心は影を潜めてしまった。旅なんかもううんざりだと思うこともある。そんな僕が、若い世代に何か言ってあげることがあるとすれば何だろう。 「失敗したっていいさ。やりたいことを恐れずにトライしてみるといいよ」 こんなアドバイスはちょっとありきたりだろうか。

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