ライターの仕事とアーティスト精神

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最近、ライターとしての仕事を幾つかもらうようになった。ひとつは「たびこふれ」という旅行系ブログで「旅行好きな全ての方のための旅行メディア」らしい。少額だがお金を頂いてちょくちょく掲載させていただいている。幾つか記事を書いたが結構面白いので、まだ目を通していない人はご確認いただきたい。

Shinji Mutoの記事一覧 | たびこふれ

もうひとつはHayailearnという日本語学習サイトでAIを使った日本語動画の字幕抽出と文法解説サービスを有料で行っている。日本語教師として何年も英語話者に日本語を教えてきたので、「日本語学習」にまつわる記事を英語で執筆している。

Overcoming Japanese: Switching from Hard Mode to Easy Mode

他にも日本語学習者向けの教材づくりやコピーライティングの仕事をしている。考えてみれば、小さい時から読書や作文が好きだったのだ。

仕事とアーティスト精神

英語にはこんな格言がある。

うん、なんだかかっこいい。「アーティスト」と聞くと、画家や音楽家なんかを思い浮かべてしまいがちだが、必ずしも芸術を生業とする人々だけを指すわけではない。アートが創造性と関係しているのは確かだ。しかし単なるお金を得るための手段とは見ず、仕事に情熱こだわりを注ぎ込める人は皆アーティストなのだと、きっとそういうことだろう。

例えば、プロの料理人は食事の味だけではなく、盛り合わせにも気を配る。私の知り合いの大工さんの中には、自分が納得した完成品でないと売りたくないと感じる人がいる。あまり出来栄えがよくなくても、買い手がいれば売ってしまおうと感じるのが普通な気がするが、きっと自分のアーティスト精神がそれを許さないのだろう。

他にも、化学者は最終的な化合物だけでなく、合成過程や実験の過程にまでこだわりを持つものだし、数学者なら難しい方程式の解答だけではなく、その解き方に美しさを感じることがある。解ければいいという話ではなく、解き方の過程の中に何か美学を感じるようだ。数学に興味のない私にはよくわからない話だが。

こうやって考えてみると、様々な仕事の中にアーティスト精神が隠れていているのだな、と思う。

自分の場合、書いた文章や構成にアートを感じることがある。特に日本語の場合、文の構成だけではなく文章中の漢字とひらがな、カタカナの比率にも美しさを感じる。字体やロゴ、全体的なデザインや写真の配置にもこだわってしまうので、これが私にとってのアートなのだろうと思う。ウェブ媒体の場合、どうしてもいたるところに広告が入ってしまうので、あまりこだわってばかりはいられないのだが。

AIとアーティスト精神

ここ数年、AIの進化が凄まじい。以前は英日翻訳の仕事がかなりの割合を占めていたが、今年に入って単純翻訳の仕事は激減した気がする。ChatGPTがほぼ完ぺきな仕事をしてくれるので、翻訳者にわざわざ頼む必要はなくなったのだ。というわけで、私はまさに「AIに仕事を奪われている。」

まあ、製品仕様やマニュアルの翻訳ならAIで十分対応できるだろうが、最近はAIに作成させた記事やブログも出回るようになってきた。ではAIにアーティスト精神を発揮できるのかと聞かれば疑問だ。情報収集には使えるが、AIが書いた文章は単調で個性がなく面白みに欠ける。自分の体験を織り交ぜた記事を書くこともできない。文の質という点では今後より改善されていくだろうが、AIには「情熱」はないし、ゼロから新しいものを生み出す「創造性」や「独創性」という点でもおそらく限界があるのだろう。

やはり人間にしかできない仕事もあるものだ。

結論

仕事や生活の中で「情熱」や「こだわり」そして「独創性」を持つ人は、芸術家に限らず皆アーティストだ。アーティスト精神を持てば、仕事の質を高められるし、なにより仕事が楽しくなる。現代ではAIが様々な仕事を担うようになってきたが、真のアーティスト精神は人間だけが持てるもので、これからも「情熱」や「独創性」を大切にしていきたいものだ。

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